【新プロジェクトX】日産リーフ自動車革命5人乗りEVの感想とあらすじネタバレと登場人物は?
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【新プロジェクトX】日産リーフ自動車革命5人乗りEVの感想とあらすじネタバレと登場人物は?

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新プロジェクトX日産リーフ自動車革命5人乗りEVの感想とあらすじネタバレと登場人物は? NHK新プロジェクトX

2024年5月18日(土)放送の新プロジェクトXは世界初の量産型EV電気自動車を開発した人たちの物語です!

今となっては車を選ぶときの選択肢に「EV・電気自動車」ということが当たり前な時代になっています。

そんな電気自動車を生み出すために苦労を重ねた技術者の方の努力があってこそです。

今回の新プロジェクトXは世界初の5人乗りの電気自動車「日産 リーフ」を開発した人たちの物語です。

この記事では新プロジェクトXの日産リーフ自動車革命のあらすじやネタバレ、登場人物や感想をまとめていきたと思います。

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新プロジェクトXで世界初の量産型EV(電気自動車)を開発した人たちの物語

2024年5月18日(土)放送の新プロジェクトXは「友とつないだ自動車革命 ~世界初!5人乗り量産EV~」

今ではおなじみの日産の電気自動車「Leaf(リーフ)」を開発した技術者の方たちのドキュメントに迫っていきます。

個人的に電気自動車(EV車)といえば、日産リーフというイメージが強いのですが、みなさんはいかがでしょうか?
街中で見かけてもリーフはすぐ見分けられてるような気がしています。

約20年近くも水面下で開発をしていたので、もしかしたら、世の中に出なかった研究開発の技術だったかもしれないということを思うと技術者の方の熱意はすごいと思います。

「友とつないだ自動車革命 ~世界初!5人乗り量産EV~」の概要

世界で急速に広がる電気自動車・EV。その先駆けとなったのは5人乗りの電気自動車として世界で初めて年間1万台以上生産した日本車だった。開発したのは“収益が上げられない”いわば日陰部署の技術者たち。くり返す会社の方針転換や当時社長だったカルロス・ゴーンからの難題に苦労しながらも、必ず自分たちの時代が来るとあきらめなかったものたちだ。ときに衝突を繰り返しながら芽生えた友情の力で革命を成し遂げた開発秘話
※引用:新プロジェクトX公式サイト

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新プロジェクトX日産リーフ自動車革命5人乗りEVの登場人物

■日産自動車

EV開発部、新EVプロジェクトリーダー
角田 英稔さん

電池開発チーム
宮本 丈司さん


電池開発チーム
枚田 典彦さん


生産技術リーダー
岸田 郁夫さん


電池開発 パック担当
平井 敏郎さん


元パナソニック 電池技術者
新田 芳明さん


NEC 電池技術者
雨宮 千夏さん

スタジオゲスト

スタジオゲストは枚田 典彦さん、岸田 郁夫さん、平井 敏郎さんの3名でした。

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新プロジェクトX日産リーフ自動車革命5人乗りEVのあらすじ・ネタバレ

EV開発部発足当時は日陰部署と呼ばれた技術者仲間が切磋琢磨をしているなかで、少し成果が見え始めてきたところでチーム解散をされてしまったあと、技術者の方一人ひとりが開発を諦めずに進めていたというところが日産リーフを短納期で完成させることができた要因ではないかとおもいました。

あらすじポイントをいくつかピックアップしてみました。

日産のEV開発のキッカケはアメリカで排気ガスを出さない車を作らないと罰金

1991年バブルの余波を受けて自動車業界は好景気で、日産も業界第2位という黄金時代で、今でも語り継がれる車種を発表していました。

そんな最中、カリフォルニアで大気汚染に対する方針が打ち出され、7年後(1998年)までに排気ガスを出さない車を一定数販売しないと巨額の罰金を科されるというものでした。

まだ、EVは実用化には程遠い技術で、それでも何か手を打たなければということで発足されたのが50名のチームで構成された「EV開発部」でした。

EV開発部、新EVプロジェクトリーダーの角田 英稔さんは「左遷」だと思っていて、アメリカで少し売れればいい、当時のゴルフカートのようなEV自動車を見て落胆をしていました。

電池開発チームの枚田 典彦さんは入社4年目のときに自分の手で車が作りたいとEVでも何でもいいと思い、自ら志願してEV開発部に参加していました。

電池開発チームの宮本 丈司さんは不採算事業でゲテモノチームと思っていて、自ら志願してきた枚田さんのことを「珍しいヤツ」と思っていたそうです。

バブルの設備投資が祟り、経営破たんの危機でカルロス・ゴーン氏が登場

EV開発部は9年かけて電池やモーターの性能を進化させて来ましたが、バブル期の設備投資のツケで日産は2.9兆円の負債を抱え、経営破たんの危機にさらされます。

その時現れたのが、カルロス・ゴーン氏
コストキラーの腕を振るい不採算事業のチームを次々に解体していきました。

EV開発部ももれなく、不採算事業のため、解散させられ、メンバーは散り散りになりましたが、それでも「いつかはEVをやるときがくる」と信じて、これまでの開発を無駄にしたくないと研究を続けていました。

散り散りになったEV開発部メンバーは流浪の民と呼ばれたり、「いつも素振りやってるね」と言われていたそうです。

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カルロス・ゴーン氏の方針転換で新EV開発部発足!プリウスと真っ向勝負

新EV開発部発足したのは、カルロス・ゴーン氏が就任してから初めて日産が減収を発表した年でした。


「逆転するにはEVだ」といういことでカルロス・ゴーン氏自ら解散させたEV開発チームを再結成して、方針転換を図ることになりました。

そこで、リーダーを任されたのが角田 英稔さん
初期のEV開発部発足時には自分は左遷されたと言っていましたが、役員から話を聞いて「これは本気だ」と確信し、バラバラになっていた元EV開発チームを招集しました。

役員から告げられた開発期間は約3年のみで、通常の半分の開発期間でした。

そんななか、角田 英稔さんが決めた大きな目標は『プリウスと真っ向勝負』
そして、サイズは最も競争が激しい5人乗りのファミリータイプ、1回の受電で160km以上を走破することを発表しています。

電気自動車の心臓部の電池開発のトップを任されたのは枚田 典彦さんで、水面下で開発をしていた電池がようやく夜に出す時が来たとやる気が出た瞬間でした。

開発期間3年という短さで起こる開発部と生産技術部との衝突

一般的な車の開発は約6年ほどの期間をかけて行われるそうです。
日産リーフの開発に与えられた開発期間はその半分の3年でした。

色々なリソースを付けてもらうことができたと言っても世界初の電気自動車を開発しているので、今までにない工程が発生することは容易に想像ができます。

苛立ちを隠すことができなかったのは生産技術リーダーの岸田 郁夫さんでした。
生産技術部のミッションは「納期を守ること」他の部署に迷惑をかけてはいけないということで、リーフの開発と同時進行で生産ラインの設計をしていく必要がありました。

しびれを切らした岸田 郁夫さんは開発チームの意見を完全に無視して生産ラインを作る設計をし、開発に突きつけていました。

開発チームは電池の開発の真っ只中で、生産手順も確率していませんでした。

そんな衝突をチームで毎日するなかで、間に入っていたのが、電池開発で電池パックを保護する部品設計を担当した平井 敏郎さんでした。

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2009年開発してるEVはリーフと名付けられた

新EV開発チームの生産する電気自動車はリーフという名前に決まり、世の中に発表されました。
発売は1年後の冬(2010年冬)でカルロス・ゴーン氏は搭載している電池の性能を高らかに歌い上げていました。

しかし、この時の電池は材料も工程も全く決まっていない状態でした。

そして、開発チームはもう逃げられないと、今後のことは電池開発の枚田 典彦さん、生産技術リーダーの岸田 郁夫さん、電池バック担当の平井 敏郎さん3人ですべてのことを決定しようと決め、役員会で宣言。
議論を重ねて、目標とする製造工程を作り出し、3人の印鑑が並び、意思統一の血判状と呼びました。

友の絆を深めたのは「8時だョ!全員集合会議」

血判状を押したあとはから、部下を帰宅させたあとに電池開発の枚田 典彦さん、生産技術リーダーの岸田 郁夫さん、電池バック担当の平井 敏郎さんの3人で集まり、隠し事は一切しない、一緒に課題に向き合うために集まることにしました。
それを8時だヨ!全員集合会議と呼んでいたそうです。

垣根を超えて開発のアイディア出しや労力をいとわずに実験を行っていました。

電池バック担当の平井 敏郎さんは電池パックで発火を抑えて見せると言って実験を繰り返していき、どんな衝撃にも耐える電池パックを完成させています。
それは入社して間もない頃に目の前でお年寄りがトラックに轢かれて、亡くなったという体験から「自分の大事な人、安心して乗せられる車づくり」を目指していることが背景にあるそうです。

この8時だョ!全員集合会議で肚を割って話すようになったことによって、お互いの人となりが分かるようになり、絆が深まっていきました。

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日産リーフの開発の最難関は「電池」開発

電気自動車の心臓部はやはり、「電池・バッテリー」です。

EV開発部が一度解散されたときに電池開発を担当していた宮本さんと枚田さんはリチウム電池に注目をしていました。
しかし、リチウム電池の生産工場で火災事故が起きたりしていたので、車には向いていないと言われていて、プリウスも採用していませんでした。

宮本さんは「もし安全性が確保できれば自動車革命が起きる」と信じて、研究開発を水面下で行っていました。

最後にどうしても乗り越えられない問題が電池の寿命問題

10年持つ電池開発を目標としていたが、わずか1年足らずで消耗してしまう問題が残されていました。

その時助っ人として呼ばれたのが元パナソニックの電池技術者 新田 芳明さんでした。
新田さんは原因を電極シートの反応のムラ(不均一反応)と突き止めていました。

しかし、発売まであと半年というところで電極シートの反応のムラ対策は確立していませんでした。

電池寿命を伸ばした救世主はうどん棒?

電池開発者の枚田さんは電極シートの反応のムラ対策をなんとかしなくてはと思い、工場へ向かったとこと、休日にもかかわらず開発メンバー達が集まって議論をしていました。

NECから出向で来ていた電池技術者の雨宮 千夏さんが「NECでは小型の電池を生産するとき人の手で皺を伸ばしている」と発言して取り入れてみることに。

当時のNECではマニュアルに組み込まれていて、見た目を整えるためにやっていたと思い込んでいたが、実は電池の寿命を伸ばすことにもなっていました。

わらにもすがる思いで電池を伸ばしてみたところ、電極シートの間に残っていた泡が出てきて、シートのシワが伸ばされ電解液が均等に染み込み、結果、電池の寿命が劇的に上がりました。

開発チームはこれなら行けると確信しました。

すでに生産技術部の岸田さんは生産ラインを完成させていましたが、なんとかこのシワ伸ばしの工程を組み込もうと役員の説得などのために社内を駆けずり回りました。
その結果、2週間で14台のシワ伸ばし機を作り、工場の生産ラインに組み込みました。

電池の量産が本格的に開始されたのはリーフ販売開始の2ヶ月前でした。

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日産リーフの電池・バッテリー関連の人的事故ゼロ

予定通り日産の電気自動車リーフは2010年冬に発売開始され、日本を皮切りにアメリカ、ヨーロッパでも販売された量産型電気自動車の誕生でした。

そして、翌年の世界カー・オブ・ザ・イヤーを総なめにしています。

リーフの発売後、各国メーカーが参入し、現在、販売トップを占めているのは中国とアメリカのメーカーです。

リーフの販売台数が70万台に迫っても電池の発火による人身事故はゼロで、安全性は世界で高く評価されています。

電池バック開発の平井さんの想いがそのまま体現されているように思います。

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新プロジェクトX日産リーフ自動車革命5人乗りEVの感想・クチコミは?

新プロジェクトX「友とつないだ自動車革命 ~世界初!5人乗り量産EV~」の放送後にSNSにUPされていた感想・クチコミをピックアップしてみました!

 

 

 

 

 

 

私もうどん棒が救世主だったことは驚きでした。

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新プロジェクトX日産リーフ自動車革命5人乗りEVの感想とあらすじネタバレと登場人物は?のまとめ

親族に日産関係者がいたことがあるので、勝手に親近感が湧いてしまいました。

・新プロジェクトXで日産リーフの開発秘話
・EV開発部が発足するも経営破たんの危機でカルロス・ゴーン氏の指示で解散
・その後、減収の危機を脱出するためにはEVと新EVプロジェクトが発足
・水面下で進めいていた開発していたものが世の中に出すことができる流れに
・しかし、開発期間は3年で通常の開発の半分ほどの期間だった
・部署間のぶつかり合いで毎日チームで睨み合っている状態
・開発しているEVは「リーフ」と名付けられ、発売時期が明示され逃げられない状態に
・メンバーで肚を割って話すようになり絆を深めて行った
・最後まで課題が残ったのは「電池」
・電池の不均等反応が起きていて、正常の電池が稼働せず、本来10年寿命の電池がわずか1年足らず
・NECから出向していたスタッフの「うどん棒のようなもので電池を伸ばす」発言で起死回生
・電池量産に入れたのは発売2ヶ月前
・2010年12月にリーフは無事に発売し、翌年のカー・オブ・ザ・イヤーを総なめ
・現在、70万台近く出荷をしているが電池による人身事故ゼロ

電池が原因の事故が10年以上起きていないのも本当に安全を考慮された結果だと思います。

 

 

 

 

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